当たり前の事を言ってもいい
こんにちは。アメリカ在住打楽器奏者のまいちょんです。
最近はコロナで全然音楽関係のお仕事がありません。オーケストラも今シーズンは全部中止で、録音のお仕事がちょっと入ってくるくらいです。
この間子ども向けの教育系ビデオの撮影に参加して初めてご一緒した打楽器奏者の人がFacebookに自分の演奏動画を週一のペースで投稿されていたんですけど、その内容に結構衝撃を受けました。
と言うのも、彼女の動画は普通に携帯とかで撮影した何の編集もされていないもので、3、4分程度の軽い演奏です。その内容も結構簡単なアルプスいちまんじゃくをマリンバで弾いてみた。とか、スネアのエクササイズとか、たまにピアノ弾いたり、歌歌ったり、タップダンスしたりと、まあ誰でもできはしないけど、かと言ってそんな難しくない事をしれっと動画で毎週投稿してました。そして、驚いたことに、その動画に対してチップを要求してました。投げ銭よろしく!って感じで PayPalのリンク貼ってて、しかもそのへぼい動画の再生回数が結構いっててびっくり。
そんな稼ぎ方できるんや!って目から鱗でした。
何となく私は完璧主義な気質もあり、ブログもそうですが、人様に見てもらうからにはちゃんとしたもん提供しなあかんって思ってしまって、逆に何もできなかったりするんですね。特にそれが専門分野になってくると、当たり前の事をしれって言ったり、誰でもできそうな曲を演奏したりするのが気が引けてしまうんですが、実は私が当たり前と思ってる事って他の人にとったら面白い事なのかもしれないと言うことに気がつきました。
灯台下暗し。ミシュランのシェフが普通の卵焼きの動画あげてる感じ?普通の卵焼きでも逆にミシュランシェフの卵焼きの動画やったら見てしまうかもしれない。
コロナでみんな食いっぱぐれないように色々模索していく中、誰もやった事ない事で成功しなければって思ったり、すごい偉業を達成しなければってプレッシャーになったりしてたけど、ものは考えようで今できる事を普通にシェアするだけでもいいんだと言う事を学びました。
と言う事で、投げ銭よろしく(笑)
って言うのは冗談です(リンク貼ってるけど。。。)
でも聞いてもらえて、感想とか貰えると喜びます。
ウェストサイドストーリー
こんにちは。アメリカで打楽器やってますまいちょんです。今週からウェストサイドストーリーのミュージカルのリハーサルが始まりました。
でも今回のホールはピットがないのでオーケストラは舞台の下に陣取り、お客さんの真ん前で演奏するというまたへんてこりんな構図なんですが、お陰で舞台の様子が間近で見れるので私にとっては嬉しい限りです。
丁度こんな感じで舞台が見れます。
舞台ばっか見てないで演奏に集中しなさいと怒られそうですが。
しかも普段はヒマな打楽器ですが、ミュージカルとなると忙しいんです。一人で沢山の楽器を担当するので、それこそ私も役者に負けず劣らずの打楽器ダンスを繰り広げております。
ウェストサイドストーリーとは
ブロードウェイでもお馴染みのウェストサイドストーリー。これはロミオとジュリエットの現代版みたいなお話。舞台は60年代ニューヨーク。アイルランド系移民とプエルトリコ系移民のギャングの闘争とその中で出会ったトニーとマリアの恋愛と悲劇を描いたお話。ミュージカルにしては超シリアスなお話です。なんせ最後はマリア以外みんな死にます。しかもロミオとジュリエットは一応最終的に両家は仲直りしたっぽいけど、こっちはそこら辺カットされてて、社会情勢の問題だけが浮き彫りにされてめっちゃ暗い。え、こんだけ引っ張ってこのオチ?みたいな何ともモヤモヤするエンディングです。ちなみにジュリエットは死ぬのに何でマリアは死なないのか謎です。
作曲家はニューヨークフィルの指揮者で有名なレオナルド・バーンスタイン。このミュージカルの歌はかなりヒットして、今でも色んな所で耳にします。有名どころは、Maria、Somewhere、America、I Feel Pretty、Tonightといったところでしょうか。打楽器奏者のワタクシとしては、ビブラフォンが大活躍するCoolもリストから外せません。
バーンスタインの作曲技法
そして、このキャッチーな曲達を世に送り出したバーンスタインですが、すごいのはそこだけじゃないんです。このミュージカルの曲は聞けば聞くほど奥が深い。
ホルンで一緒に演奏している旦那さんがポロっと一言おもしろい事を口にしたんです。
「バーンスタインってかなり経済的だよね。全部の曲がMariaのアレンジみたいなもん」
最初聞いた時は、同じ曲を色んな場所で使い回ししてるっていう意味なのかなと思って、まあそんなのは当たり前でしょうと深く考えてなかったんですけど、さすがは作曲家でもある旦那さん。普通に演奏してるだけで曲の分析ができてしまうようです。
実は全然違う曲の中にもよくよく聞けばマリアがいるんです!!
“Maria”っていうのはトニーがマリアに出会ってから恋に落ちてただアホみたいにマリアマリアって連呼する歌です。
West Side Story (3/10) Movie CLIP - Maria (1961) HD
その「マリーアー」って唱えるメロディが「ファシードー」という三音から構成されているんですけど、旦那さん曰く、これはシェーンベルクなどの作曲家達が好んで使った147という音程を入れ替えた471のインターバルらしく、バーンスタインはこの147のコンビネーションをこのミュージカルの色んな楽曲で使用しているらしいのです。例えばさっき言ったビブラフォンがクールな”Cool”の曲も良く聞いてみたらマリアのオンパレードなんです!実際の始まりの三音もマリアと全く同じです。
West Side Story - Cool (1961) HD
他にもprologueやJet SongやSomething’s Comingとかにもマリアがいるんです!
怖いー!
のかどうかはさておき、何となくウォーリーを探せ的な気分になります。
ちなみにこの147の番号が謎の方のために簡単に説明しますと、ただ単にドレミファソラシを1234567って当てはめた番号で、丁度4と7(ファとシ)のインターバルがトライトーンになるという組み合わせです。トライトーンというのは日本語では全三音と呼ばれるんですが、その名のごとく、3つの全音で構成される完全4度と完全5度の間の音程です。完全4度(ドとファ)とか完全5度(ドとソ)の組み合わせはキレイにハモれるんですけど、その間のトライトーン(ドとファ#)になるとどうもへんてこりん。モーツアルトの時代ではトライトーンは悪魔の音程と言って忌み嫌われた音らしいですが、悪魔と呼ばれるだけあって何ともまた不安定な不気味な音程なんです。
不気味な音程のオンパレードのラブソングってどういう事?!
って一瞬思うんですが、それが何故かバーンスタインの手にかかると何とも美しい曲に仕上がってしまうという。逆に何となくミステリアスな妖艶さを醸し出して余計に観客の心を引きつけます。そしてこの不安定な音程がこれから起こる悲劇の伏線的な役割も兼ねているという。うーんバーンスタイン恐るべし。
ちなみに最後は話が未解決のままエンディングを迎えるウェストサイドストーリー。フィナーレでマリアが死にゆくトニーと歌う”Somewhere”は途中でトライトーンに遮られます。トライトーンだけが最後まで鳴り響いて幕が閉じるという、音楽的にも未解決なエンディング。最初から最後までこんなにトライトーンなミュージカルって見たことないですよ(笑)
旦那さん曰く、バーンスタインは”Cool”の中間部にこれもまたシェーンベルクがあみだした十二音技法も取り入れてるらしいです。これは無調音楽によく使われる技法で、12音全部使うまで同じ音を繰り返さないという技です。これをまたマリアのピッチセットに混ぜ込んで使いこなすってすごいねバーンスタイン。
シェーンベルクとかの音楽って学者とかオタクの人には受けたけど、一般の人には難しすぎて全然受けなかったんです。そのギャップを繋いだっていうのは音楽界にとってもすごい貢献だと思うんですね。
そしてそんな事を演奏しながら聞き分けられる旦那もすごいね。私なんて自分のパート弾くのと舞台見てるのに必死で全然気づかなかったですよ。
とまあ色々奥が深いウェストサイドストーリー。映画版とか色々あるので興味があれば見てみて下さい。悪魔の音程を意識しながら見てみたらまた違った面白さがあるかもしれません。
ショスタコーヴィチに思いを馳せる
こんにちは。アメリカで打楽器やってるまいちょんです。
今週末もオーケストラの本番でした。今回の担当はショスタコ5番のシロフォンとグロッケンとトライアングル。いつものごとく待ち時間長いので出待ち中に色々思ったことを綴ってみます。
Shostakovich (1906-1975)
ショスタコーヴィチは生涯を激動の時代のロシアとソ連で過ごした作曲家。若いころのショスタコーヴィチはハリーポッターみたいなイケメンですね。
学部時代の私は音楽史のテストで、ショタコンとかビッチなタコとかいろいろ想像力を膨らませて名前を暗記していたんですが 、実はめっちゃシリアスな人です(笑)
びっちなタコ(笑)
交響曲第5番
交響曲第5番は日本ではショスタコ5番とかさらに省略されてタコ5とか呼ばれてなんか響き悪いですけど、アメリカではショスティーファイブというジャクソンファイブみたいな何ともカッコいい名前で呼ばれています。
この曲はクラシック界の中ではベートーベンの5番と匹敵するくらい有名なんですが、なぜ有名かというと、「勝利に向かって突き進む」とか「苦悩を通じて歓喜へ」とかいうテーマがこれでもかってほど分かりやすく表現されて客受けがいいという事と、当時の社会情勢や政治的なメッセージとして色んな解釈をされて様々な諸説が出回って話題になったからです。
というのも、この曲が作曲されたのは1937年。スターリンの独裁政権時代。今でいう北朝鮮みたいな状況下でした。ちょっとでもスターリンに反感を買おうもんなら即死でした。実際、ショスタコーヴィチの友人の作曲家、身内やパトロンも強制収容所に送られて殺されたと言われています。そんな状況の中でもショスタコーヴィチは前衛的な音楽を追求していたんですが、当時公開されたオペラ「ムチェンクス群のマクベス夫人」がスターリンのお気に召さず、共産党機関紙に痛烈に批判されてしまいます。
スターリンの気を損ねる=粛清
命の危機にさらされたショスタコーヴィチは、当時作曲していた魂の雄たけびみたいな不協和音満載でヘビーメタルスクリーモーな交響曲4番の初演を断念して、めっちゃシンプルで分かりやすい体制賛美な5番を作曲し、それが大ヒットして首の皮が繋がったといういわく付きの曲なのです。それからというものショスタコーヴィチはソ連お抱えの作曲家として地位を確立していきます。
5番における諸説
諸説1
私が5番を初めて聞いたのは私の打楽器の先生がオースティンシンフォニーで5番を演奏した時でした。先生も今回の私と同じシロフォン担当でした。その時に先生がめっちゃ興奮してこの曲に秘められた「作曲者のメッセージ」について語っていたのが今も印象的です。
先生によると、
- ショスタコーヴィチは表向きはスターリンや社会主義国家を賛美する曲を作りつつ、実はこっそり反体制的なメッセージを込めていた
というものです。なんでも、ショスタコーヴィチは5番にビゼーのカルメンのハバネラを引用して、その引用部の歌詞が「信用しちゃダメ」という意味らしく、さらに後半200回以上リピートする「ラ」の音がロシア語では「リャ」=「私」を意味し、さらに曲の最後にニ長調に転調したテーマがハバネラの引用と合体して「私は信用しない」という意味になるそうです。
家族の命を守るためには当局に媚びる不本意な音楽を作曲する事も、ソ連のお抱え作曲家とレッテルを張らることも厭わない。でも実は交響曲で体制を批判した不屈の作曲家であった!
みたいな西側の資本主義国からすればウキウキする話です。アメリカで5番が人気になったのもこういう背景があるからかもしれませんね。アメリカに住んでいると、アメリカ人の社会主義や共産主義に対する拒否感はひしひしと伝わってきます。そんなアメリカ人がショスタコーヴィチの曲を演奏するのに拒否感はないんだろうか?とか思ったんですけど、自分たちに都合のいい解釈をしてる感じもしないでもない。
実際私も先生に言われたことを鵜呑みにしてビッチなタコさんすごい!と思ってました(笑)
ハバネラ説の出どころは知りませんが、体制批判をしていたという諸説は1979年に発売された「ショスタコーヴィチの証言」という本が元になったそうですが、今ではこの証言は偽書とされているそうです。実際タコさんの息子のマキシムも身近な家族もこの本を否定しているらしいです。実際の所のタコさんの本音は謎です。
諸説2
体制批判と見せかけて、実はラブソングであった説。
後半何回もリピートする「ラ」の音は「リャ」=私ではなく、昔の愛人リャーリャさんを意味し、ハバネラの引用部も「信用しちゃだめ」ではなく、「愛」と叫ぶ箇所であり、これはリャーリャに愛を叫ぶラブソングであったという説です。
そしてこのリャーリャさんはタコさんと別れた後、スペインに亡命してカルメン性の人と結婚しているらしいです。
体制賛美ではなく愛人賛美。
実は真面目にみえたタコさんは女ったらしだったのでしょうか。イケメンやし、ぬかりない。
でも、粛清の嵐の状況下でこんなことができるんですかね。よっぽどな精神の持ち主。
そして当時強烈な批判をくらった「ムチェンクス群のマクベス夫人」は当時の奥さんに捧げられているらしいですよ。捧げるオペラの内容は18禁の血みどろ。
私が奥さんやったらこんな曲もらっても全然うれしくないけど。。。
なんだかよく分かりませんが、愛人へのラブソングは何となくこじ付けな感じがします。
旦那さんの意見
色々調べて面白くなってクラシックオタクの旦那さんにどう思うか聞いてみたら、
「絶対音楽*の5番に標題音楽的な意見を求める事自体が間違っている」
と即答されました(汗)
*絶対音楽
音楽以外の制約から解かれた、すなわち他の芸術と結びついていない純粋な音楽をいう。したがってそれは、言語内容を音に響かせようとする意図や、対照的なものを模倣あるいは描写しようという意図、また感情などを表現しようとする意図はもたず、音楽的形式や秩序そのものがその存在の根元をなしている
by ブリタニカ国際大百科事典
ちーん。
まあ、そうなんですけどね。文学とかでもそうですけど周りがはやし立ててあれこれ推測するのは作者の意図に反するものだったりもしますし。
単純に5番の曲自体を5番の魅力としてお客さんに表現しないといけないのかもしれないですね。
てなことをごちゃごちゃ考えながら本番に臨み、出番をミスりかけて冷や汗かいたまいちょんでした。さすがスターリンもご満悦のショスタコ5番なだけあって、お客さんも大喜び。スタンディングオーベーションでした。
ぐだぐだな本番
こんにちは。ちょっと体調崩して死にかけてた打楽器奏者のまいちょんです。
もう、花粉症やばい。北テキサスは特に山から飛んできた花粉が一気に集まる場所らしく、会う人会う人みんなくしゃみ鼻水&目が血走ってます(笑)
そして今はオーケストラやバンドのシーズン最後の定期演奏会ラッシュで練習と本番が毎日のようにやってきます。教えてる学校も5月で春学期が終わるのでこれもまたもや学期末演奏会ラッシュです。先週末はイースターで、教会に駆り出されて演奏しました。実はイースターのブログも書いてたんですが、忙しすぎて書き終わらないまま次から次へと本番が来て投稿するタイミングを逃しました。
そんなこんなで先週はずっと帰宅が10時とか11時とかで寝不足が続き、花粉症で目は痒いしくしゃみ鼻水のせいで頭は痛いしゾンビ化しておりました。
さらに金曜の夜のコンサートで着た服が薄着でお腹が冷えたのか、食べ物にあたったのか、帰宅してから胃がキリキリゴロゴロ。夜中中腹痛に苛まれ寝れず、朝の4時頃まで吐き下し、全然寝れないまま次の日を迎え、体調最悪な状態でオーケストラの本番を迎えるハメに。
今回の演目はモーツァルトのドン・ジョバンニ、フィガロの結婚、魔笛というトリプルオペラのダイジェスト。シーズンフィナーレという事でオペラ歌手やコーラスも招いてのコンサートでした。
そして私は本番中も目はムズムズ、鼻はズルズル、頭はクラクラ、お腹はキリキリゴロゴロ。
死ぬ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
ホールの冷房もガンガンで寒くてお腹も冷えて腹痛は酷くなるばかり。
そしてテンパったゾンビのティンパニ奏者は休符を数えながらトイレに走るという究極の凄技を展開。
幸いなことに私の楽譜は休符のオンパレードで、一回弾いてから次の出番まで300小節くらい出番がなかったりするんです。いつもは出番少ないとヒマだったりするんですけど、今回ほどモーツァルトに感謝したことはありませんでした。
ティンパニも舞台の片隅でカーテンに隠れていたのと、オペラ歌手さん達がめっちゃ目立ってくれたおかげでゾンビティンパニ奏者の行方を気にする人はいませんでした。と願いたい。
激動のコンサートを乗り切ったら今日は元気になりました。
そしたら旦那さんが同じ症状でダウン。食あたりかと思ったらウイルス性の胃腸炎だったっぽいです。
音楽を通して学べること
こんにちは。アメリカで打楽器教えてるまいちょんです。
子ども達に何年も音楽を教えてますが、最近重視して教えるようにしている事は
問題解決力を養う事と、気くばりができるようになる事。
問題解決力を養う
これ、結構重要なスキルで、ぶっちゃけこれができたら先生はいらないわけです。
上達しない生徒は練習の仕方が下手くそです。そして自分で考える力がない。
「どうやったらもっと上手くなれると思うか」という質問に返って来る答えがただ単に「練習する」だったり。
「どこをどう練習する?」って聞いても「たくさん練習する」とかいう回答だったりします。まあ練習しないよりはマシですけど、もっと具体的にどういうアプローチをするか考える力がない子が多いです。
そういう子どもたちに最近よく使う言葉は
練習する時はお医者さんのように考える癖をつけましょう
- まず、診察。特に何か悪い所(改善点)があるかどうか考える
例えば、メトロノームとずれる
- どこに異常があるかつきとめる
それは、コーディネーションの問題なのか(手が思ったように動かない)
それとも、リズムを理解できていないのか
それとも、メトロノームを聞けていないのか
- 薬を処方→どういう練習方法で改善できるか考える
ゆっくり弾いてみる
1小節ずつ弾いてみる
足でビートをタップしながら弾いてみる
- 薬の効き具合を確かめる
この練習は役に立ってるか見極めて、もしあまり効果的でないなら他の練習法方を模索する
- 完治するまで試行錯誤を繰り返す
練習だけして満足しないで、きちんと結果が出るまで努力する
言うは易しですけどね。でもこれができるとできないで上達具合がかなり変わってきます。頭がいい子が何でもできるのはこの問題解決能力と自己観察力の違いだと思います。
気くばりができる事
音楽をする上で自分の立ち位置を理解出来るかどうかはとても重要な事です。例えば自分はソロイストなのか、サポーターなのかで同じパッセージでも弾き方が変わってきます。
あるソプラノ歌手の方のブログで興味深いと思ったのが、普段赤い服ばかり着てると思われがちなのは、ソプラノとしての立場上地味な色の服を着ると他の人が困ってしまうからだそうです。本人は実は淡い色が好みだそうですが、主役が目立たないと周りが苦労するという気配りから派手な色をわざと選んでいるんですね。
打楽器は逆に主役になることはあまりないんですが、サポーターとしての立ち位置をわきまえて、どうやってバンドに貢献出来るかを常に観察する練習をしないといけません。自分の役割がメトロノームならなるべくバックグラウンドで。ここぞという時の効果音ならパンチの効いた音を出したり。ティンパニなら低音セクションと音程やアーティキュレーションをマッチしたり、鍵盤楽器ならメロディーセクションとフレーズを合わせたり、バンドやオーケストラのサイズに合わせて音量を調節したりと、状況に応じて適切に弾き分けることができないといけません。
打楽器のパートは他の楽器に比べてシンプルですが、簡単だと思ってこの気配りを怠るといいミュージシャンにはなれないです。
先日中高生向けの吹奏楽の曲のレコーディングに参加したんですけど、サブで来た打楽器の人が全然空気読めない人で一緒に演奏するのに苦労しました。
私がビブラフォンでフルートのソロパッセージのオブリガートを弾いていて、フレーズの終わりの大切な瞬間に全然違うタイミングでチャイムを大音量で鳴らすんです。びっくりして振り返って意思表示をしたんですけど、それすら気付かず飄々としてて、自分が何をしてるのか分かってない感じでした。
彼的には正確にメトロノーム通りきっちりカウントして弾いてるんだろうと思うんですけど、全然周りの音を聴けてない。。。実際メトロノーム通りきっちり弾けたりチューナー通りの音程で弾けても周りとずれてたら意味ないですからね。
終わりに
問題解決力と気配りできる事。これは音楽だけではなく、私たちが普段生きていく上で重要なスキルです。教育者として、子ども達が大きくなって、例え音楽を辞めてしまっても、音楽を通して学んだスキルを使ってそれぞれの分野で成功できる力を身につけてくれたらいいなと思う限りです。
マリンバについて真剣に語ってみる
こんにちは。アメリカで打楽器やってるまいちょんです。
今回はマリンバについて真剣に語ってみようと思います。
先日、アーカンソー州のアーカデルフィアという小さい町にあるOuachita Baptist Universityという大学でSpiral Staircase Duoのリサイタルをしました。私は全く知らなかったんですが、このアーカデルフィアという町にはDoug DeMorrowのマリンバの工場があったんです。
リサイタルをするにあたって大学のマリンバを借りられるか聞いてみたところ、大学の先生から、すごいマリンバの宣伝をされました。
- うちにはDoug DeMorrowの超大作のアーティストマリンバがあります!
- これはDougが8年間かけて集めたよりすぐりの鍵盤を使って作られてます!
- プロジェクション、サウンドクオリティーも申し分なし!
- 世界に一つしか存在しない名作!
等々、全然聞いてもいないのにメールのやりとりするたびに毎回「このマリンバは本当にすばらしい!」っていう内容が込められて返ってきました。
DeMorrowマリンバは噂にはよく聞いていたブランドでした。毎回このブランドで耳にするのが、
- Doug DeMorrowさんというおじいちゃんがアーカンソーのド田舎で一人手作りでマリンバを作っているらしい。
- DeMorrowマリンバを知っている人はみんな口をそろえてこのブランドを推薦する。
- 手作りなので大手ブランドのマリンバより割高で、順番待ちリストが長い。
- MalletechマリンバのLeigh Stevensが鍵盤やパイプのデザインを盗んだという噂。
マリンバ大手メーカーをざっくり紹介
アメリカで有名なマリンバの大手四大ブランドは
- Yamaha
- Adams
- Malletech
- Marimba One
- Yamahaは安倍圭子が日本はもとより世界で活躍してマリンバを推奨したお陰でアメリカでも有名な日本ブランド。高音が良くなってシロフォンのようなサウンド。安倍圭子シリーズが有名。
- Adamsはオランダの会社。鍵盤があまりそば鳴りしないダークなサウンド。一番小さく軽いので持ち運びやすいけど壊れやすい。Yale大学教授のRobert VanSiceシリーズが有名。
- Malletechはアメリカで有名なスティーブンスグリップを発明したLeigh Stevensの開発したブランド。真鍮の円形パイプそれぞれにストッパーがついてパイプのチューニングが可能。鍵盤の幅がかなり大きく、楽器も巨大で重さもそれなり。ノースウェスタン大学のMichael Burrittシリーズなどが有名。
- Marimba OneはカリフォルニアのRon Samuelが作った会社。中型で低音がよく響く。ボストン大学のNancy Zeltsmanや大茂絵里子などがアーティスト契約している。
私のマリンバブランドに対する見解
実はぶっちゃけブランドはどうでもいいと思うんです。
私も若いころは先生のうけうりみたいに言われたことを信じて、私の先生がこれがいちばん素晴らしい楽器でいい音が鳴るって言ったら本当にそう思ってました。でも学校や先生が変わる度に意見が変わるんです。
今まで3つの大学で勉強しました。学部の時はヤマハ。修士課程ではマレテック。博士課程ではアダムスの先生につきました。全員が全員自分のブランドを推奨して他の楽器はヘボい的な意見でした。そしておもしろいくらいその先生につく生徒はみんな宗教みたいにそれぞれのブランドを崇拝してました。私もその一人でしたが、環境が変わる度にカルチャーショックを受けるように混乱しました。それを何回も繰り返す内に一つの結論にたどり着きました。
- マリンバブランドにはそれぞれ違う個性があって、それを好きか嫌いかで判断できてもそれをかならずしも良い、悪いとは言えない。
- 私の経験上、下手な人ほど楽器のせいにしがちで、ぶっちゃけ上手い人が同じ楽器弾いたらいい音がなる。楽器の個性をより上手に引き立てられるかは演奏者の力量による。
- マレット云々、楽器云々言ってる前に腕を磨いてへぼい楽器でも魅力的に演奏できるように練習した方がいい。
ちなみに私のマリンバはマリンバワンです。マリンバワンを選んだ理由は大きさも音質も中道を行ってて、値段もお手頃価格で、サービスもよかったからです。
そしたらマレテックの先生から電話がかかってきてめっちゃ怒られました。その後マレテックの人から、いかにマレテックの方がマリンバワンよりいい楽器かっていう内容がつらつらつらつら書かれたメールが届きました。しかも社長のスティーブンスがメールにCCされてて、私はブラックリストに入れられて私のマリンバ人生は終わったと思いましたが、後になって考えればなんてアホらしい。マレテックが必至すぎて笑えてくるほど。
まあそんなこんなでブランドは私にとってはどうでもいいんですね。なので今回のDeMorrowさんのブランドもぶっちゃけどうでもよかったんです。そんな素晴らしい楽器を使わせていただいてありがとうございます。ってノリでした。
Doug DeMorrowのマリンバに対する愛情
OBUにリサイタル前日の夜に着いてホールでサウンドチェックをしました。すると夜も遅いのにダグさん自らホールでアーティストマリンバと共にお出迎えしてくれました。噂に聞いていたダグさんはラピュタに出てくる炭鉱のおじいちゃんみたいな人でした。
サウンドチェックを助けてもらえて良かったんですが、色々監視されてるみたいで緊張して全然集中できないという。。。どちらかというと、私が彼の大事なベイビーマリンバを粗末に扱わないか見張っている、または私がこのマリンバにどういうリアクションをするかを伺っている、というような印象でした。そして彼の一言一言に「ん?」ってなる事多々。
まず、私がこのマリンバを弾くに値する人物かどうかを私のビデオを見て事前調査したらしく、私がお許しをもらえたのは、安倍圭子のような弾き方をしないから。
安倍圭子はマリンバの鍵盤をよく壊すことで有名です。たたき方も日本人特有の和太鼓みたいな大振りで、硬いマレットで激しく弾く印象があります。アメリカのマリンバ奏者とは全然違うスタイルです。
ダグさんに言わせると、彼女の弾き方は見た目重視で楽器をただの道具としか捉えていない。マレットの柄で叩いたりするのなんてあり得ない。実際それで鍵盤が壊れることはないかもしれないけど、楽器を粗末に扱う態度が許せない。楽器はアーティストと同等のパートナーであって、そげに扱われてほしくない。
という事でした。
後日ダグさんのマリンバ工場に訪れてみて感じたんですが、彼は本当に根っからの職人で、自分の仕事に誇りを持ってました。有名になるとか、お金を儲けるとかよりも、クオリティーの高い芸術作品を作る事をモットーに、他のブランドがどんどん企業を拡大しているのに対して看板一つすらないガレージで作業して常にローズウッドと対話していました。
同じ音の鍵盤でも音の響き方で5段階に分類して、練習用、コンサート用、などに振り分けて、その中で最も響きのいい鍵盤をアーティストマリンバに使ったらしいです。本人曰くこんなことをしているメーカーは他にないそうです。なので彼のアーティストマリンバの鍵盤は一つ一つ大きさや太さや色が違うんです。最初は弾くときに戸惑ったんですが、見た目よりも音重視。演奏していても、どちらかというと自然との融合、木と直接触れ合って対話しているような感覚になりました。
実際安倍圭子は楽器を粗末に扱っているのか
ダグさんの言う事はもっともなんですが、では実際安倍圭子や他のアーティストが楽器を粗末に扱っているかというと、それはそれで違うと思うんですね。
安倍圭子はアメリカでもマリンバ界の神様みたいな存在で、私も何回か彼女の演奏を生で見たことがありますが、オーラが違う。技術面では今の若い人の方がもっと手も早く回ってきちんと弾ける人も多いかもしれないけど、彼女が弾くと神が宿るような神秘的な現象がおきます。天女が踊ってるような演奏です。
実際彼女のお弟子さんの話を聞くと、彼女のレッスンもスピリチュアルで、最初の音を鳴らすまでの精神統一や音楽と一体化する事を重視されるそうです。
そんな彼女が楽器を痛めつけたり、お遊びのようなノリでマリンバの柄で演奏したりしているわけでは決してないはず。
安倍圭子の打楽器界への貢献
安倍圭子がなぜマリンバ界の神的存在になったかというと、彼女の打楽器界への貢献が素晴らしかったからです。
もともとマリンバはメキシコやグアテマラの民族楽器で、クラシック界で認められるようになったのも、安倍圭子を初め、1950年代以降の人たちの尽力のたまものです。彼女はマリンバ奏者としてマリンバの魅力を伝えただけでなく、レパートリーが少ないので、自らマリンバの曲を作曲し、さらには本物の作曲家に曲を依頼して、楽譜やCDを出版してマリンバのための曲を沢山世に送り出しました。ヤマハと契約して楽器の向上にも貢献し、5オクターブマリンバを作り出した一人でもあります。
Doug DeMorrowも同じ世代
私は、ダグさんも安倍圭子もマリンバに対する情熱は変わらない思います。安倍圭子もDoug DeMorrowもLeigh Stevensも方向性は違えど、マリンバの地位を向上させて世間に認められるレベルにした点では同じくらい評価されると思います。
工場を見学した時に色々熱く語ってくれたんですが、ダグさんは、マリンバをバイオリンと同等に扱ってもらえるようなクオリティにしたい。そのためには演奏者の価値観をまず変えないといけない。特にマリンバは打楽器で唯一ソロ楽器として通用する楽器で、他の楽器にも対抗し得るポテンシャルがある。だれもスネアドラムだけのソロコンサートには行きたがらないけど、マリンバの音には他の打楽器にはない魅力がある。との事でした。だからこそ尚更、楽器をそげに扱うことが許せない。ホルンをスティックで叩く人がいないように、マリンバも丁寧に扱われるべきである。との事でした。
私の見解
私も今のマリンバの地位が確立されたのは先代達の貢献のたまものである事は変わりないし、大衆楽器のマリンバを高級ブランドに作り上げたことは素晴らしいことだと思います。
ただ私が思うに、ダグさんは自分の作品を愛するあまり過保護になりすぎて楽器の魅力を表現する機会を失っているような気もします。
特に私は現代音楽を演奏する者として、楽器を通常通りに弾くことが必ずしも楽器の魅力を最大限に表現しているとは思えないんです。柄でたたく事で音に幅が出るなら、そして楽器を傷つけないなら尚更、それは推奨されるべきことだと思うんです。
老舗の寿司職人がアメリカの創作寿司を見て、高級な食材をままごとみたいに扱ってるって思うのも分からなくはないです。でもそういう新しい試行錯誤を繰り返す事は芸術の向上には大切だと思うんです。
例えばジョン・ケージは実験音楽家として音楽の幅を広げました。リビングルームの音楽とか、お風呂場の音楽とか、普通に考えたらおままごと的な曲や、雑音や偶然性ですら音楽の一つと定義されるようになりました。その後の打楽器音楽の向上にも大切な役割を担いました。
私にとってのマリンバ(打楽器)の魅力
私にとってマリンバの魅力とは、コンサートホールで煌びやかに演奏される楽器というよりは、もっと身近で自然なものでもあると思うんです。もともと民族楽器だった楽器を違う土俵でクラシックの価値観で並べて、クラシック新参者のマリンバが絶対王者のバイオリンとクラシック音楽で対決すること自体不利極まりない。対決する事でクオリティが向上するのはいいんです。でもそれがすべてではないと思います。
特に打楽器が今音楽界で注目されつつある理由は、色んな楽器に秘められた個性、そして新しい表現方法のポテンシャルと親しみやすさによるものだと思います。
クラシック音楽が今絶滅の危機に立たされているのは、崇高な音楽を追求するあまり大衆とかけ離れすぎた結果です。両方に片足をつっこんでる打楽器はこのギャップを埋める架け橋になれる存在だと思います。
打楽器の、必要であればドロ作業も厭わないようなフットワークの軽さみたいなものも魅力だと思います。ホルンをスティックで叩く事ができなくても、打楽器は全然叩いてなんぼですから。
DeMorrow Artist Marimbaを弾いてみた感想
最近リタイアしたIthaca大学のゴードン・スタウトの最後の演奏会に向けて、ダグさん自らがこのアーティストマリンバをニューヨークに持って行った際、ゴードン・スタウトがこのマリンバを弾いて涙した。というほどの楽器。
実際弾いてみて、いい楽器だとは思うけど、涙が出るほど感動したかというと、よく分かりませんでした(汗)確かに鍵盤は上質なんだろうと思うんですが、パイプが小さくて低音の鳴りが今一つ。音の飛び方も楽器によるものなのか、ホールの音響によるものなのかよく分かりませんでした。でも自分のマリンバにさらに百万上乗せする価値があるかと言われると、どうなんだろう?
私は高級レストランの料理より定食屋の料理の方がおいしいと思ってしまうので、庶民の私には理解できない音なのかもしれません。
DeMorrowさんから学んだこと
ダグさんの意見にすべて賛成できるかどうかは別として、今回の体験で音楽とはなんぞや、芸術とはなんぞや、楽器への向き合い方など、色々なことを考える機会をもらえてよかったと思います。先代達のマリンバへの貢献があっての今があることを再確認できた事で楽器に対してもっと感謝できるようになりました。
ダグさんは百科事典のような人で、マリンバの歴史や素材などについてたくさん学べてよかったです。時間があればもっとお話ししたかったです。
ダグさんのお話で特に印象的だったのが、マリンバの鍵盤に使われるローズウッドについて。
マリンバの鍵盤用に使えるには100年以上たった木でないといけないらしく、この100年物のローズウッドがどんどん減少している事。このエキゾチックウッドは密接して植林すると病気になるので離れたところに少しずつしか植えることしかできず、今植えてもすぐ使えるわけではないので、これから先ローズウッドのマリンバはどんどん減少していくだろうとの事です。コンサートマリンバが発明されてから数十年。今までの歴史の中でローズウッドマリンバを演奏できる貴重な時代に生まれた事に感謝して、この貴重なローズウッドがマリンバに使われるに値するような音楽や芸術を追求していかないといけないと思いました。
リサイタルの写真。新曲の#Kittyの初演奏。本番上手くいってよかったです。
本物の音楽
こんにちはアメリカで打楽器やってるまいちょんです。
先日Percussion Collectiveのコンサートに行ってきました。
これはYale大学の卒業生による打楽器アンサンブルで、私の恩師のJi Hye Jungもその一人。今回彼らがダラスにやって来るという事でリハーサルスキップして見に行きました。
本当にオーケストラのリハーサルを抜けてでも行ったかいがあるすごいパフォーマンスでした。
本物の音楽ってこういう事なんだなっていう。コンサート中釘づけで、終わった後も余韻が半端ない。興奮して夜も眠れないほど。
大学を離れて音楽でフリーランスをするようになってからというもの、ジャンクフードみたいな音楽と関わる事が多く結構悶々とする事が多かったので、久し振りにいい音楽が聞けて心が洗われた気分です。
大学にいた頃は本当に音楽のみを追求してました。でも社会に出てからは商業中心で、エンターテイメント性とか見た目重視的な曲だったり、お客さん受けする曲を求められたりするんです。
でもそういう分かりやすい曲って中身がないっていうか、脂っこいっていうか、本格的な料理の勉強してきていきなりハンバーガーとポテトばかり食べる生活をするような拷問 (笑)
お金のために割り切ってジャンクフードな音楽を演奏したり、エビフライが乗ったうどんを天ぷらうどんですって何も知らない人に提供したりするレストランで働かないといけなかったりする生活。そしてそういう事に疑問を持つ事すら時間の無駄だと思うほど夢も希望もなくなりかけていた時に本物の音楽が聞けて、かなり救われた気分でした。
やっぱり本場のイタリアのパスタはクソまずいアメリカのブヨブヨのスパゲッティより何十倍も美味しかったと再確認したような感覚。
このPercussion Collectiveのメンバーの演奏は、神がかり的なオーラがありました。一人一人の技術も半端ないですが、その超人的なプレイヤーが全員真剣に体当たりでぶつかって生み出す音楽の出産現場を目の当たりにしたような気分でした。今回Percussion Collectiveは、本番まで1週間ホールを借り切って缶詰状態で練習して準備してました。練習現場を少し見学させてもらったんですが、通せば30秒もかからない箇所を何回も何回も入念にやり直して試行錯誤を繰り返してました。そうやって入念に作られた作品だからこそ深みのある曲に仕上がるんだと思います。
私の先生がいつも必ず念を押して教えてくれた事は、
演奏技術は音楽に奉仕する為に使われないといけない
という事。
常に音楽が先にあって、その音楽の個性を引き立てるために技術が必要なのであって、客受けするようにわざと派手な演奏で自分をいかに上手く見せようとしたり、技術にばっかり気を使って根本的な音楽を表現できていないと意味がないっていう事。もちろんいいテクニックがないと音楽を表現するのにさし障るので、テクニックは重要で、包丁も常に研いで切れ味をよくする必要があります。
でも包丁だけ研いで満足してたりしてはいけないという事。
最近は研いだ包丁も使うことなくインスタントラーメンみたいな時間をかけずにすぐ作れる曲ばっかり演奏したりしてたので、今回の恩師の到来は久々に雷に撃たれたような衝撃でした。周りの環境に流されず、常に高みを目指して精進していかないといけないとひしひしと感じた週末でした。
今週末はアーカンソーでリサイタルです。気合を入れて頑張ります。