まいちょんの学びの部屋

アメリカ在住ママ兼打楽器奏者の日々の学びをシェアするブログ

アメリカ無痛分娩体験談

こんにちは。2020年の2月に第一子をアメリカで出産しましたまいちょんです。出産から半年以上たち、育児に少しだけ余裕ができてきたので、忘れない内に出産体験を書き留めたいと思います。ちょうどコロナがアメリカに上陸する前に出産できたので、立ち合い出産も家族の面会もギリギリセーフでした。ほんとにそれだけはラッキー。

 

 

無痛分娩について

私は36歳で第一子出産ということで、一応高齢出産の枠に入るという事もあり、普通の総合病院で無痛分娩出産を選択しました。無痛分娩はアメリカでは結構な割合でみんなしているイメージで、実際病院主催の両親向けのクラスに参加していた妊婦さん全員が無痛分娩希望でした。かくいう私は、別に自然分娩に強いこだわりを持っていたわけでもなく、安全なら何でもいいわという軽いノリでした。まあ強いて言うなら安い方がいいなーくらい(笑)幸いな事に保険が全部払ってくれるらしいので、それならわざわざ痛い思いせずとも無痛でいいんちゃう?と思いました。

 

ただ、何となく罪悪感が。。。まあ不必要といえば不必要です。出産の痛みとか経験していない内から自然では産めませんって弱音を吐いているような気分にもなります。麻酔科の専門医が施術するとはいえ、事故が起こる可能性もあります。一応自分なりに調べてみました。

 

無痛分娩によるネガティブ効果としては、

  • 下半身麻痺でいきみ方が分からずお産に時間がかかる事がある
  • その結果吸引分娩や鉗子分娩になったりして赤ちゃんに負担がかかることも
  • 麻酔で赤ちゃんが眠くなり、産まれた後の授乳が上手くいかない事がある

ポジティブな事といえば、

  • 痛みが和らぐ事で無駄な力がぬけて体力が温存できる
  • リラックス出来る事でお産がスムーズになる人もいる
  • 体力消耗しないので産後の回復が早くなる
  • もし何かあった場合、緊急帝王切開への切り替えが早くなる

 

という感じでした。私の母親は無痛分娩に対してあまり乗り気ではない感じでした。楽して産むと赤ちゃんに対する愛着がわきずらいし、鉗子分娩になったら障害が残ることもある。というような事を心配してました。でも、愛着云々に関しては、6割以上のアメリカ人が無痛分娩をしている割にみんな子どもを溺愛してるし、痛みに耐えるのが美徳みたいな風には思えませんでした。そしてアメリカは日本みたいに産後一週間ほど入院できて助産師さんに色々助けてもらえる訳でもなく、産んだその瞬間から母子同室で、次の日には退院させられるというスパルタです。もし出産だけがゴールなら痛みに耐える事も全力で挑めるけど、出産が長いマラソンのスタート地点ととらえるなら、それまで体力を温存できるに越したことはないと思いました。ただ、不必要にずっと最初から痛み止めを打つのは違うなーと思ったので、我慢できる範囲はがまんして、和痛するくらいの量でいこうと思っていました。

 

 出産前

いくら無痛でいくと決めたといえ、初めての出産は緊張です。妊娠後期はネットの検索魔と化しました(笑)色んな人の出産経験談のブログとかを読みまくり、毎日のように出産vlogやら助産師ユーチューバーさんの動画を見て過ごす日々。毎晩のように出産シーンの動画を見てはもらい泣き。お産に役立ついきみ方とか勉強してはトイレで練習(笑)

 

そのいきみ方というのは、

目を閉じずに、口を開けて半笑いの状態でム~~~~~~と言いながらゆっくり下っ腹にむけて腹圧をかける。というもの。

 

怪しすぎる。

 

いきむのもきばるのも一緒やろと、毎回うんちの時にトイレにこもってム~~~~っと唸る私に旦那もドン引き。どうも顔に力が入ると目の周りの毛細血管がぶちぶち切れてお岩さんみたいになる人がいるらしく、この方法だとうまい感じに力が抜けるらしいです。ほんまかいな。あとは息をとめていきむと赤ちゃんに酸素がいかないので常に呼吸を続けながらいきんだ方がいいらしいんです。でも息を吐きながらきばるのって結構むずい(笑)

 

病院主催の両親学級にも参加して、旦那にマッサージや腰をさすってもらう練習をしたり、ラマーズ式の呼吸法を習ったり、ありとあらゆる準備を整えました。

 

36週くらいから赤ちゃんが下に下がってくる感覚が分かりますみたいな話を聞き、前区陣痛が始まる人もいるらしく、緊張して日々を過ごすも、全く何の兆候もありません。たまに車に乗っている時にお腹が張る事があるくらいで、特に何も変わりなく日々がすぎさりました。

 

37週検診の触診では子宮口はかっちり閉じていました。エコーで見た感じ思ったより赤ちゃんが大きめで(推定3800gと言われた。。。)、頭も10センチ近くあることが判明しました。子宮口全開で10センチなんじゃ。。。こんなん頭つっかえるやん。私も旦那も小さめなのでてっきり子どもも小さいに違いないと思いこんで食事制限せずにホリデーフード食べまくったのがあかんかったのか。

 

私の頭によぎるのは鼻からスイカ。。。鼻からスイカ。。。

 

これ以上時間がたってさらにデカくなるのはマジ勘弁。ということで、そこからというもの、散歩、風呂そうじ、床磨き、ヨガ、ピラティス、スクワットをアホみたいにやりまくり、いつでも出てきてオッケーでっせ!とお腹の息子にメッセージを送り続けるも、全く産まれそうな兆候はありませんでした。38週の検診では触診したいか聞かれたけど何の兆候もなかったのでしてもらいませんでした。予定日の二日前に計画分娩が決まっていたので、きっとそれまで産まれることは無いんだろうなと思っていました。

 

出産当日

38週3日目の日曜の夜、その日はいつもより長時間ヨガとスクワットをしてちょっと疲れ気味でした。餃子の皮が余っていたので月曜に春巻きを作って産後に食べれるように冷凍しといたらいいってな事を旦那としゃべって、次の日仕事なのでさっさとベッドに入りました(出産ぎりぎりまで働いてました)。

 

うとうとしかかったころ、ちょろっと尿漏れみたいな感覚で目が覚めました。その時は寝ぼけていて特に深く考えもせずまた寝ようとした所、またちょろ。。。うーん、何かよく分からんのでとりあえずトイレに行ってみようと思って立ち上がった瞬間、

 

 

どばーっっっ!!って破水しました。

 

 

工エエェェ Σ”(⚙♊⚙ノ)ノ ェェエエ工‼

 

とりあえずトイレに座ってみるも、どんどん羊水が出てくるので動けず。慌てて旦那を起こして、用意してあった入院用の荷物を持って病院に向かいました。実家の母が用意してくれていた産褥パッドが大助かりしました。産後より使えた。まじでありがとう産褥パッド。

 

診察室にて

 夜中の2時半ごろに病院に着いて、診察室に通されました。しかし何がいらんて、破水して羊水ダダ洩れで診察台に登らされる事。病院用のガウン一枚をひらっと羽織ったただけで後はすっぽんぽんです。せめて何かオムツみたいな物でもあったらよかったのにあるのはタオルとペット用のパッドみたいなやつのみ。おしりは濡れて気持ち悪いし。まじかよ。。。(結局その後実際産むまでおしりぬれ状態ですごしました)

 

当直の女医さんが来て診察してくれました。「本物の破水かどうか羊水検査しまーす。ていうかこんなんどう見ても破水やけどねー。うふふふー」と一人つっこみして笑ってはりました。触診してもらった所、子宮口は2cm開いているらしく、モニターには陣痛の波が。この陣痛来てるの感じる?って聞かれるも。

 

いえ全く感じません(笑)

 

全区陣痛とかも全く分からず、お産が近い兆候とかも全然分からなかったけど、実はもう陣痛は始まっていたらしいです。陣痛って「痛」っていう漢字が入ってるからてっきり痛いもんだと思ってました。確かに英語ではcontraction(子宮収縮)と言うので、それがお腹の張りを意味してるのか、陣痛なのかがよく分かってませんでした。

 

 

女医:今からもうエピデュラル(無痛の薬)やっちゃう?

 

いや、全然痛くもかゆくもないんですけど。。。

 

女医:あらそう?じゃあやりたくなったら教えてね~

 

いつ頃やるのがいいとかあります?

 

女医:いつでもいいわよ~

 

早めに始めるとお産が長引くって聞いたんですけど

 

女医:あなた破水してるから多分陣痛促進剤使うので関係ないわよ。おほほほ~。

 

まじか。。。。

感染のリスクがあるので破水してから24時間以内に産む方がいいのは知ってたけど、一応自然に産まれるの待ったりとかもなさげなんですね。

 

でもまあとりあえず、陣痛の痛みをちょっとだけでも経験してみたかったので、しばらく待つことにしました。

 

分娩室にて

じゃあ分娩室に移動しまーす。って言われて起き上がろうとしたら、

 

このままベッドごと移動するので大丈夫よ~

 

と、結構なサイズのベッドごと男の人二人に押されて病院内を大移動。ドアとかも二重扉が自動で空いたりして、すげー。楽しいー。

 

この病院は陣痛室と分娩室が同じ部屋で、通された部屋には、すでに赤ちゃんを診察する用のテーブルとかがあって、少し現実味をおびてきました。

左手に点滴、右手は血圧測るやつ、お腹はモニターに繋がれ、ぐるぐる巻き状態。何分かおきごとに自動で血圧が測られます。モニターでは陣痛の波も見えます。

 

午前4時ごろ、担当のナースがやってきて、

 

主治医のドクターからしばらくしたらピトシン(陣痛誘発剤)を使うように指示が出たからねー。でも少しずつ量を増やすから心配しないで大丈夫よー。でもエピやりたかったら教えてねー。

 

と言われ、その地点でも全く痛みが無かったので、まだ大丈夫と断りましました。この地点で子宮口は4センチくらいに開いていました。

 

その後、ナースさんは何回も何回ものぞきに来て、もう痛み来た?エピやる?あなた強いわね。じゃあもうちょっと薬足しまーす。っていう事を繰り返す事3回くらい。

 

午前7時ごろ、私のドクター登場。触診の結果まだ4センチ止まりでした。そろそろお腹がすいてきたので、何か食べたいって言ったら、緊急帝王切開に備えて飲み物しかとったらダメと言われました。家出るときに持ってきたみかんを車内で食べなかった事をめっちゃ後悔しました。

 

飲めるもののオプションは、

リンゴジュース、オレンジジュース、クランベリージュース、だし汁(チキン、ビーフ、ベジタブル)のみ。

 

寂しい。。。チキンのだし汁をしょぼしょぼいただきましたが、全然腹の足しになりませんでした。旦那の分は病院のカフェテリアから注文できるらしく、朝ごはんちゃっかり注文してるし。ずるい。

 

ここら辺から少しずつ薬が効いて陣痛の痛みが強くなってきました。生理痛みたいな痛みって聞いてたけど、どっちかというと内蔵全体がぐおーって締め付けられるような感じ。これぞまさしく子宮収縮。結構短い間隔で来はじめました。しばらく耐えてたけど、ちょっとこれはしんどいので、次ナースが来るまでがまんしてその時エピデュラルをお願いしようと思いました。

 

そしたら、今までしつこいくらい来ては痛みの確認をしていたナースが全く来てくれない(涙)ナースコールをするのは何となくためらわれる。。。旦那に腰でもさすってもらおうかと思ったら、めっちゃ寝てる(笑)確かに夜中に破水してから旦那も徹夜だったので起こしたらかわいそうと思い、そっとしておきました。私もちょっと寝たいと思い、寝ようとするも、ウトウトすると陣痛がやってきて寝れない。一人でフーフーといきみのがしをして耐えました。

 

10時半ごろようやくナースが様子を見に来てくれました。結構痛い事を伝えると、やっとこの時が来たかのようにめっちゃ嬉しそうに麻酔の先生を呼びに行ってくれました。旦那が慌てて飛び起きて寝ぼけてたのが面白かったです。

 

エピデュラルの事

その日は帝王切開が入っていなかったらしく、麻酔の先生もすぐ来てくれました。なんか結構タラシっぽいダンディーなおじさん?で、声が低くてイケメンでした。

ベッドの横に座った旦那と向かい合って手を取り合って背中を丸めるように指示されました。何となくこっぱずかしくて変な感じでした。しかもつないだ手がめっちゃ冷たくて旦那が緊張してるのが伝わってきました(笑)かくいう私は陣痛が痛くて、その痛みに集中しているあまり、後ろで麻酔の先生が私の背中に針をぶっさしている事にすら気づきませんでした。。。なんかヒヤッとするものをぬられた感触はあったけど、後は全然痛くもかゆくもありませんでした。エピをしたらトイレに行けないらしく、導尿のカテーテルもつけられました。

 

麻酔が均等に効くようにたまに態勢変えてねー。と言って先生とナースは去っていきました。その後、しばらくは陣痛の痛みは続いてたけど、徐々に痛みは引いていって、感覚だけが残りました。陣痛のモニターの波に合わせてお腹が収縮する感覚は分かるものの、下半身はしびれてて痛みはほぼ感じませんでした。ただ足が重くて自分で持ち上げられず、態勢変えるのが一苦労でした。

 

陣痛の痛みも和らいできたので、少し仮眠をとりました。前日の夜から寝れてなかったので、この時少し休む事ができたのは本当に助かりました。

 

12時ごろ、母と義父がミズーリ州から病院に到着しました。私が夜中の2時に破水した時に連絡したら、速攻荷物まとめて夜中十運転してテキサスまでかけつけてくれました。出産前にぎりぎり間に合いました。母は私が陣痛で苦しんでいるのを少しでも助けてあげたいと思っていたらしいんですが、エピでケロッとしてる私を見て拍子抜けしてました。

 

分娩開始

30分くらい家族と談笑していたら、ナースが内診しに来ました。

わーすごい出血ー☆ と嬉しそうにしているナース。出血に喜ぶなんて変な話だけど、これはお産が近いっていう印なのよー。さっそくドクターよんでくるわー!と言って出ていきました。

 

全然痛みの感覚が無かったので、出血していたことにびっくりして、その後全然実感ないままもう分娩 が始まるらしいことにも心の準備ができていなくて戸惑いました。ドクターがやってきて、家族は待合室に追い出されました。

 

あれよあれよという間にモニターの陣痛の波にあわせていきみ開始。

私はてっきり分娩台に足を括り付けられてM字開脚で産むもんだと思っていたら、指示されたのは、自分で両膝を持ち上げてお腹を覗き込むように背中を丸めていきみなさいとの事。

 

しかし。。。

 

足が重い

 

麻酔で足に全く力が入らず自分で足があげられず、何とか手で膝をもちあげようとするものの、重すぎてしんどい。。。しばらくがんばったものの途中からつかれてきて、最終的には右足はナース、左足は旦那に担がれる羽目に。。。

 下半身麻痺で全然力が入らないですって言ったら、ドクターに、「まあでも痛いよりはましよね」と言われて変に納得しました。

 

無痛とはいえ、陣痛の子宮収縮でお腹がすごい圧力で締め付けられる感覚は普通に感じるので、いつ陣痛が来ているのかはよく分かりました。でも下半身に力が入らないので、本当にちゃんといきめているのかは謎でした。

そして、ふと、がんばって練習していたお産に役立ついきみ方が頭によぎりました。

 

目を閉じずに、口を開けて半笑いの状態でム~~~~~~と言いながらゆっくり下っ腹にむけて腹圧をかける。。。。。。。。。

 

。。。。。。。。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

あかん!恥ずかしすぎてムリ!

 

出産中は無我夢中で我を忘れるって聞いてたけど、麻酔のお陰でかなり冷静で、ドクターとナースと旦那に取り囲まれている状態でそんなアホみたいな事さすがにできない。結局普通に静かにいきみました。

 

ドクターとナースが、「メイ!その調子!がんばって!プッシュプッシュ!」と声掛けをしてくれていた時、今まで一言も発していなかった旦那がぼそっと一言、

 

「彼女の名前はマイです。」

 

今までずっと間違って名前を呼ばれていたんですが、これはアメリカでよくある事だったので訂正する気もおこらず普通にスルーしていたのに、まさかこのタイミングでのカミングアウト(笑)

 「オーマイゴッド何でもっと早く教えてくれなかったの!」って言いつつ、ドクターの中で私の名前はメイになっていて、その後もずっと私の名前はメイのままでした。

 

しばらくいきみ続ける事30分。赤ちゃんの頭が見えてきたらしく、ナースが鏡で見せてくれました。触ってみる?って言われて、恐る恐る触ってみたら、想像してたより暖かくてふにゃふにゃしててびっくりしました。ちょっと感動的。

しかし、自分の股をまじまじ見せられるのもかなり微妙。ドクター曰く、股から血が出てくると上手くいきめてるサインらしいです。どんだけグロいねん。。。

 

しばらく鏡をみながらいきんでいたら、ドクターの邪魔になったのか普通にさっさとのけられました。ドクターが着替えに出て行って、コロナのPPEみたいな恰好で戻ってきました。フェイスシールドと防護服の出で立ちで、ちょっと大げさ。

もう産まれるから準備してってなった瞬間、さらに小児科医やほかのナースが3人ほどぞろぞろ部屋に入ってきて色々準備し始めました。小児科のドクターと微妙に目があって気まずかったのを覚えています。

 

息子誕生

いきみ開始してから1時間くらいたって、最後は大量のナースやドクターに見守られながら、ついに1時23分に息子が誕生しました!!

おギャーって泣いた声を聞いた時にすごい安心したのを覚えています。そのまま胸にぽんっておかれて、触ってみたらこれもまたふにゃふにゃでした。

でもしばらく全然産まれた実感がなくて、夢の中にいてるような感覚でした。出産前は人のお産シーンを見ては感動してたのに、いざ自分が産んでみたら案外普通でした(笑)意外と冷静で、でも現実味が全くなく、これは本当に自分の子なんだろうか?とぼーっとしている間に、旦那がドクターに呼ばれてへその緒カットしてました。

 

しばらくたって、ようやく胸の上でぐーすか寝てる息子をまじまじ見てみてびっくり!

 

めっちゃ毛深いんですけど!Σ(゚Д゚)

 

猿みたいに黒い毛がびっしり体中に生えてました!ドクター曰く、それは胎毛と言って赤ちゃんの皮膚を羊水から守るために生えてる毛なので、そのうち取れますとの事。

 

そしたら今度は旦那が、

アザだらけなんですけど!

ってびびってて、何かと思えば蒙古斑でした(笑)アジア人にはよくあるけど、白人には珍しいらしいです。息子は左手の甲にも青いシミみたいなのがあって、私のドクターもケガしたのかなーって言ってましたが、小児科のドクター曰く、それも蒙古斑の一部らしいです。

 

その後息子は新生児用のベッドに移動されて、色々チェックされました。3472グラム、51センチで、血液型は私と同じO型でした。推定体重が3800だったので思ったより小さめでびっくりしました。

その間ドクターはせっせと私の胎盤を取り出して傷の縫合をしてはりました。会陰切開とかもしなかったけど、結構チクチク縫われてるので、おそるおそる、

 

「あの、結構裂けたんでしょうか?」って聞いたら、しばらく無言になって、一生懸命言葉を選びながら、

 

「まあ他のお母さん達にくらべたらましな方よ」

 

って絶対うそやし(笑)

麻酔が切れた後の痛みがおそろしくなりました。

 

息子の処置が終わってベビーベッドに寝かされたので、旦那に息子の写真を撮ってもらいました。胸に乗せられていた時は頭が外を向いていたのでちゃんと顔が見れてなかったのです。9か月妊娠期間を共にした仲とはいえ、どんな顔をしているのかはさっぱり想像もつかずオンラインデートをしているような感覚でした。私の子どもなので金髪青目は無理なのは分かっていましたが、旦那似のかわいいハーフの赤ちゃんを創造しながら、写真を見ると、

 

めっちゃ私似(T▽T)

 

っていうか私の父親そっくり。どんだけ遺伝子強いねん。しばらくショックで立ち直れず(笑)唯一の救いはまつ毛だけは旦那に似て長い事。後は全部私。その後抱っこしても自分の父親の顔を見てるようで微妙でした(笑)

(まあそんな事も後の祭りで、しばらくすると親バカ全開でめっちゃ可愛く思えました)

 

そんなこんなで母子共に産後の手当てが済んで、ドクターから両親の面会許可がおりました。母と義父に誰も産まれた事を伝えてくれていなかったらしく、お産が長引いて吸引分娩や帝王切開になるんじゃないかとひやひやしながら待っていたらしいです。特に母は無痛分娩のリスクを心配していたので気が気でなかったようです。ごめんよお母さん。

 

最後に

結局予定していた春巻きは作れないまま餃子の皮だけ冷凍庫に放置され、やっと春巻きを作れる余裕ができたのは出産後数か月以上たってからでした。

 

無痛分娩は思った以上に楽でした。ソロリサイタルする方が何倍も大変。ただ、楽なので達成感はあまり得られず、実際産んでからも本当に自分の子どもなのか実感できるのに時間がかかりました。明らかに私の顔してるから誰が見ても私の子なんですけどね(笑)でもアメリカは産後がかなりスパルタなので、無痛じゃなかったら大変だったと思います。産後のスパルタについてはまた後程くわしく書きたいと思います。

 

そして、肝心のお値段。あの一瞬来て10分くらい処置をして去って行ったちょっとタラシっぽいイケメンのダンディ麻酔科が後になって請求してきた金額は3000ドル。私の産婦人科のドクターの請求量は4000ドルくらいで、明らかに仕事量が全然違うんですけど。てか、アメリカの医療費高すぎ。保険が払ってくれたから良かったけど。

 

スクワットしまくって破水した感があるのでちょっと息子に申し訳ないけど、母子共健康で何事もなく無事に出産出来てよかったです。